はい、おなっすパクチー大原です。
前々回の記事では脱サラしてからトレーナーになるまで。
前回の記事ではトレーナーだけで生きようとしたものの失敗し借金が膨らんだため、結局アルバイト生活を余儀なくされたこと。そしてアルバイトが自分に合わず、再びトレーナーだけで生活しようと決意をしたところまで話しました。
今回はトレーナーだけで生きていくためにどうしたのか、その結果はどうなったのか話していきます。フリーストレーナーの一例として参考にしていただければと思います。
背水の陣
私は2019年の4月初旬に生活費を稼ぐためのアルバイトがツラすぎて、結局トレーナーだけで生活することを決意します。
4月当時で借金が40万円。さらに「これ以上のお金を借りるにはさらなる審査が必要」とアコムから連絡が来る。
アコムでは最低返済額である8000円を毎月返済していった。しかし年率18%の金利も追加で払わなければならないため、8000円を返済してもその半分が利子としてとられる状況(計算はあいまい)。40万の借金に対して4000円ずつ返済する状況だったので、毎月返済額を支払っているのに借金が減っていく感覚がありませんでした。
アコムis沼。
この状況を抜け出すにはアルバイトで金を稼いでも焼け石に水。
居酒屋のアルバイトで1時間900円稼ぐよりも、今までいなかったお客さんを増す努力をしながらパーソナルトレーニングで1時間6400円を稼ぐ選択肢をとったほうが良いのは明白でした。
営業力を強化
私がお客さんを増やすためにとった行動は営業力の強化でした。
営業力を強化する前はパーソナルトレーニングの無料体験やカウンセリングを受けた人が10人ならば、1人が継続するお客さんになる状況。打率は一割でした。ここを改善する必要があったのです。
営業力の強化のためにとった行動は、営業に関する書籍を4冊買ってそこに書いてあるノウハウを、カウンセリング、パーソナルトレーニング、クロージングをする時の三つの状況に落とし込んだ場合の営業トークを作りこみ、それをすらすら言えるよう練習することでした。
営業のトークの台本を三日で作った後は、それをすらすら言えるよう移動中や家にいるときも練習しました。
結果は二週間で出た
4月から始めた営業の練習は二週間後の4月15日ほどから実を結び始めました。
カウンセリングをしたときに以前よりお客さんが継続する確率が増えたのです。営業をかけていくたびに「ここはこうしたほうがいいな」「ここはこうしたほうが良かったな」という反省点が出るのでそれを踏まえて改善していった結果、6月には10人に営業をかけると8人は、期間の長短あれど継続してくれるようになりました。
お客さんがとれるようになったことで、2.3月まで週2でしか活動していなかったトレーナーとしてのスケジュールも埋まり始めます。4月中旬から活動が忙しくなり、5月6月にはほぼ毎日働く状態で一日のセッション数が3-6セッションになり、月の収入も40万以上になりました。
借金の元凶
私が借金をすることになった元凶であるYOUTUBEも6月から芽が出始めます。
具体的にはAKIOBLOGさんの動画をみて、動画の構成を思いっきりパクって、ボディビルダーのルーティーンシリーズとして動画を出すと視聴回数が一気に上がり始めました。
今思えばラッキーパンチで持続力のあるものではありませんでしたが、借金をして苦労をした以上のメリットを得られたので良しとします。
YOUTUBEがうまくいったことで、成功するには借金をするくらいのノリと成功するまでの我慢が必要であることを実体験として知ることができました。
結果を出してからの変化
※トレーナーとして生き方を参考にしていた方、ここからは参考にならないので読むのをやめるか、ただのブログとしてみてください。
トレーナーとして結果をだしてから、借金を返済してからは仕事の手を緩めました。
仕事では変わらず毎日働いていましたが、積極的にしていた営業の手を止めて一日のセッションの数を減らしました。トレーナーの仕事は肉体労働であるため一日に4セッションもするとその日は疲れ果てて、自分の時間を楽しめなくなるからです。
そして会社を辞めた2018年6月から2019年7月まで働きづめだったので、しばらく遊ぶことにしました。
インドに行ったり
タイや韓国、ドイツに行ってみました。
インド旅行に関してはリターン(商品)を設定して、そのリターンを欲しいと思う人から資金をもらう方式のクラウドファンディングで旅行資金を集め、(リターンを購入してくれた方、その節はありがとうございましゅ。)
他のタイやインド、韓国旅行に関しては死んだ母親の保険金が振り込まれたのでそのお金で行きました。
母親は二人いるのですが、生みの母親は2017年に60歳で死去。話を聞くにそこそこ貧乏しつつ、孤独しつつ、後悔しつつ死んだようなので「その母親の分も遊んだるか」という思いも込めて遊ぶお金に使いました。エゴですが。
この時期は旅行中でなくても新たなチャレンジをせず、ただYOUTUBEの更新とトレーナーをやるだけの日々だったため、私の人生は再び暗黒フェーズに入りますが、続きは今の人生がもうちょっと前に進んでから書きます。というわけで今回の話は終わり。
追伸
母が2017年の時に60歳でガンで死にましたが、2020年63歳の父親が近々ガンで死ぬらしいです。脱サラしたときもそうでしたが、両親の死を感じてから
「やはり自分の人生を生きたほうがいい」「明日死ぬリスクと明日生きるリスクを考えつつ生きたほうがいい」
「人が死んでも、世界はいつも通り動く。他人はすぐに自分を忘れる。自分の死を気にしない他人を気にして生きるのはもったいない」「楽しく生きたほうがいい」と強く思いました。
あと驚いたのですが、トレーナーの営業がうまくいき始めてから、YOUTUBEが上手くまわりだしてから「人に支えられながら俺は生きている」と感じたのです。頭がお花畑の偽善者の吐く言葉かと思っていましたが、自分がこう思うとは予想できませんでした。
トレーナー時代のお客さん、当時のジムのスタッフさん、YOUTUBEやほかのSNSで応援してくれている方。いろいろとありがとうございました。この記事みてるか知らんけど。