トレーナー諦めて、おっさんの介護して、ストレスで不眠症になった話~第二話~

この記事を書いた人

プロフィール写真

おおはらゆういち(パクチー大原)

1994年福岡県生まれ。「筋トレ仲間が欲しい」と思い、早稲田大学に入学。早稲田大学のボディビルコンテストで優勝し2016年度ミスター早稲田となる。卒業後は不動産の営業→フリーランスのトレーナーになる。現在は島根県の山奥で【筋トレ村】を作りつつセミリタイア生活を送っている。

はい、おなっすパクチー大原です。

前回の記事ではブラック企業から脱サラしてトレーナーになるまでの話をしましたが、今回はフリーランスのトレーナーになってからの体験を話を詳しく書いていきます。

正社員のトレーナーからフリーランスのトレーナーになろうと考えている方は参考になるかもしれません。

フリーランスのトレーナーを諦めた

私が2019年の1月からアルバイトをやめて、固定給のないフリーランスのトレーナーとして活動を始めた時からお話します。

フリーランスになっていきなり赤字

私が2018年12月にアルバイト兼トレーナーをしていた時は月の収入が20万円で、その内トレーナーの収入は15万円ほどでした。ですのでフリーランスになった2019年1月の収入の見込みは15万円になるはすでした。

ぎりぎり暮らしていけるレベルの15万円を、稼げるはずでした。

しかし私の見込みはアマアマだったことに気が付きます。1月といえば帰省やお正月シーズン。それを想定しておらずパーソナルトレーニングをめちゃくちゃ受けてくれていた、鬼滅の刃風にいえば、私の生殺与奪の権を握っていた中国人のお客さんが帰省してしまったのです。

そのお客さんは月に7万円ほど落としてくれていたので、私の収入は15-7=8万円になりました。手取り14万問題がTwitterで話題になりましたが、それをさらに下回る月8万円。フリーランスの洗礼を初月から受けることになったのです。

増える赤字と借金

「そうか、1月はお正月シーズン。来月から収入は戻るだろう。」と、二月から収入が戻ることを予想していました。しかしその予想も大きく外れます。大きくお金を落としてくれていた中国人のお客さんはなんと2と3月の間は戻らないことが判明したのです。

このままだと私の収入は月8万円が続き、赤字が増えることになります。当時の私は2018年の12月末にYOUTUBE用機材購入のため30万円ほどアコムから借金をしていたため「赤字が続く=借金が増える」状態になっていました。

面白いもので、一度思い切ってアコムから借金をしてしまうと追加でさらにお金を借りることに対するハードルがかなり低くなるのです。というわけで「赤字が出てもまた借りればいいか」と思い借金の額はさらに大きくなっていきました。

トレーナーの活動については、トレーナを始めた2018年8月からこれといった工夫をすることなくお客さんがついてくれたので「1月以降も待っていればめぐり合わせで新たなお客さんが来てくれるだろう」と思い新規のお客さんを集めるための工夫を何一つ行っていませんでした。

YOUTUBE用機材購入のため30万円借金をしたとき。
脱サラした勢いもありノリで借金。

トレーナーに見切りをつけアルバイトを始める

「現在の状況をどうにかしないと」そう思い、重い腰を上げたのは2月末。

その理由としては3月の収入も赤字になることを予想できたから。アコムから「さらに借金をするにはさらなる審査が必要になります」という通知が来たことに危機感を感じたからです。

私がとった行動は二つのアルバイトを始めること。私が選んだのは居酒屋と、金持ちで筋ジストロフィーの障がいを持つ人の介護でした。エニタイムのバイトにしなかったのは過去にシフトを自分勝手に減らしまくっていたことで反感を買い、出戻りを拒否されたから。ぴえん。※1

それぞれのアルバイトを選んだ理由ですが、居酒屋は「料理教えてもらってうまい飯つくれるようになるんじゃねえか」と期待したから。介護は「最強の二人」という筋ジストロフィーという病気で体が動かせないの金持ちと黒人の介護者が仲良くやる映画を見ていたこともあり、楽しく貴重な体験ができるのではないかと思ったから。ですが、「こうあってほしい」という期待に満ちた予想は全て外れることになります。

居酒屋のアルバイトを始めたのは2018年3月26日から。介護は3月28日から。

それぞれクソ苦痛でした。

※1 採用面接では希望の職場に行けることになっていたが、実際は嘘をつかれ、希望の職場からかけ離れたところに飛ばされたので、しっぺ返し戦略としてシフトを自分の都合で減らしていった。それに対するしっぺ返しを受けたんですけどね。ぴえん。

介護は三回でやめた

まず最初は金持ち障がい者の介護について紹介します。

この仕事については当初パーソナルアシスタントというネーミングで紹介されていましたが、実際は何の変哲もないただの介護。雇用主の自宅で二人きりなので「やる仕事もそんなにないだろう」と思っていたのですが、相手を抱えるようなと肉体労働が多かったこと、なおかつ雇用主との相性が良くなかったことが原因で一気に限界に達し、三回目の出勤でやめました。

逆に一気に限界に達し、サッと見切りをつけられたので良かったと思っています。

居酒屋のバイトは苦痛を感じつつ二か月ほど続けることになりました。

居酒屋バイトが嫌すぎて前日寝れない

まず人生初の居酒屋バイトの感想は、ただの低賃金の肉体労働。時給900円くらいで7時から10時くらいまで料理をお客さんに提供したり、食器を洗ったりして働きます。実際に働いてから気づいたのですが、働く時間が3-4時間しかないためそもそもお金を稼げません。中途半端に時間だけ取られるのです。

また飲食店の文化なのか知りませんが、お客さんがいなければバイトは早々と帰らされることに驚きました。早ければ二時間くらいで帰らされるので収入にして1800円。その時は釣り好きの店長から「ごめんなユウイチ、今日はあんまり稼がせてあげれんやった」と声をかけられました。

このフォローを入れられると「まぁこんなもんか」と思ってしまいます。

ただ以前にその店長から「俺は釣り道具のルアー買うとき、そのシリーズのものを全部買ったりするから、使ってないルアー家にめっちゃあんねん!」と小金持ち自慢をされていたので、「あんねん!、じゃねぇよボケ」などと思ってしまいました。

他にも店長は気を使ってくれる人で、私が鶏の胸肉を食べることを知っていたので「飲食業者じゃないと買えない格安の鶏むね肉を買ってきたるよ!」とスーパーで売っているものより1kgあたり100円ほど安い鶏むね肉の仲介を申し出てくれました。

私は安く鶏むね肉を買わせてもらう度に「ありがとうございます!」と平身低頭でお礼を言うのですが、「低賃金で面白くもない肉体労働をして、さらには100円安い鶏むね肉を買うことでヘコヘコとお礼をする俺はなんでしょぼいんだ。俺はそんなスケールの小さい人間か?」とバチクソにキレていました。

普通に考えて私がヤバいんですけど、毎週2kgの鶏むね肉をもらうたびに自分のショボさにキレていました。

また、居酒屋では私は早稲田大学卒でもなく、ボディビルダーでもなく、トレーナーでもありません。近所の高校生と同じただのアルバイトとして見られていたため「俺が積み上げてきたものは何だったんだ、親が払ってきた学費はなんだったんだ」と困惑していました。

プライドが高いのもあったかもしれませんが、自分の強みを活かせない状況にかなりストレスを感じたのです。居酒屋バイトでは小さなストレスがたまりにたまって、途中からバイトの前日は仕事に行きたくなさ過ぎて眠れなくなりました。

トレーナーだけで生計を立てることを再び決意

居酒屋のアルバイトをやっているなかで、パッと思い浮かんだのは「アレ、なんで俺こんな低賃金でバイトしてるん?トレーナーなら60分8000円やで?お客さん集める工夫すればええやん!」でした。いま考えると当たり前ですが、当たり前のことがその時まで思い浮かびませんでした。

借金は当時で43万ほどになっており、これ以上お金を借りるなら追加の審査が必要になる状況。これ以上お金を借りたくない、使いたくない状態でしたが、営業と集客に関する本を数冊Amazonで購入しトレーナーとしての再起を図る行動に出たのです。

————————————————

今回は以上にして、次はトレーナーとしての再起を図ってからの行動とその結果を別の記事で書いていくのでしばらくお待ちください。

追伸

この記事を見ると、かなりわがままに生きていますが、やはり適材適所があるので頑張れるところと頑張れないところが出てきます。「その決断を他の人より早くやっているだけ。」と私は都合よく解釈しています。だって、自分に都合よく生きたいやん。

人によっては「みんなも我慢しているんだから私も我慢しないと」とか「私も我慢してるんだからお前も我慢しろよ」と考えているかもしれませんが、自分の強みを活かしつつ人より楽をして成果を出せるならそのほうがよくないですか。

私は低賃金かつ重労働で、明日にでも自分とは違う人ができるような、誰でもできる仕事をしている自分が嫌でした。

もし自分の強みを活かせるところがここじゃないと感じたら、パッと移動するといいんじゃないんですかね。リスクはあります。ただそこは自分の人生なので、自己責任でいっちゃいやしょう!いってらっしゃい!